翠波鉄道管理局 テーマ特集:「キハ58"1000番台"」

1800余両が製造された急行型気動車キハ58系ではその新造末期にモデルチェンジ車(前面窓がパノラミックウィンドゥになったタイプ)が製造されました。キハ58形式では車番1101〜がそのグループとなりますが、わざわざ1100という中途半端な番台区分が設定されたのは、すでにキハ58には1000を超すインフレ車番が存在していたためです。
それらは昭和41年度本予算以降に製造された初期平窓車の最終グループで、 キハ58では車番794〜799、1000〜1052となります。途中の車番が飛んでいるのは、すでに修学旅行用として801〜が存在し、また900番台は試作車に充当されることから、一気に1000まで飛んだものと思われます。
四国ではこのグループとして1013と1014の2両が在籍しており、これを私は勝手に「1000番台」と呼んでおりました。

白マークも誇らしく急行「いよ」の先頭に立つキハ58 1014。「1000番台」の特徴であるデッキ上通風器と外はめ式尾灯がわかります。また新造時はタイフォンがフタ付でした。

同時期のキハ58 1013はこちら

1977/8 伊予三島

タイフォンのフタが撤去されたキハ58 1014。長編成の急行「うわじま」も今は思い出です。
この写真を見る限り、後述する後部デッキ上の通風器が撤去されているようです。

1986/8 伊予土居-関川

すでに架線の張られた高松駅で発車を待つキハ58 1014。左に見えるキハ28-5000は末期に見られたユニット窓改造車です。

1986/12 高松

踏切事故に遭ったのでしょうか、新居浜駅の側線にキハ58 1013が仮設尾灯を付けて留置されていました。
「1000番台」のもう一つの特徴、小型小判型に変更された便所の窓がわかります。

1982/1 新居浜

キハ58 1013の連結妻面。冷房のないデッキゆえ、妻窓が設けられています。
右の四角い出っ張りは冷房用分電盤が、左下の出っ張りにはごみ箱が収納されています。

昭和40年度1次民有以降(キハ58 655〜)に設置された後部デッキ上の通風器が屋上水タンクの横に見えます。

1982/1 新居浜

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