翠波鉄道管理局 四国のDF50 1980's その2

DF50 22(四カマ)

1958.07.31 日本車輌製造
1981.03.10 廃車

DF50では唯一の日本車輌製である22号機です。亀山機関区のDD51置き換えにより、1980年に四国へ転入しました。亀山所属機の特徴であった側面エアフィルタがカバーなしというスタイルで、廃車までに四国で検査入場することがなかったため、四国仕様への改造は行われませんでした。
1980-12 伊予三島

DF50 24(四カマ)

1958.09.14 新三菱重工製造
1984.08.01 廃車

上の22号機と同じく、亀山からの転入機です。最期まで活躍したDF50の一両で、転入後に多度津工場で要検を受け、四国仕様に改造されています。エアフィルタには三列ルーバータイプのカバーが取り付けられ、連結器解放テコも延長されています。
 乗務員扉窓にタブレット防護柵が取り付けられているのも特徴です。
1981-03 伊予三島

DF50 26(四カマ)

1958.09.25 新三菱重工製造
1982.01.18 廃車

26号機は亀山機関区時代の1971年に御召列車を牽引した折に、車体裾部の白帯がステンレス化されました。四国転入後に四国仕様へ改造されたもののステンレス帯はそのまま残されました。
 四国時代の26号機で思い出深い仕業として、1981年元旦の初詣臨時列車「はつはる」を牽引した際に、前頭部助士席側に日の丸を貼り付けて走ったことがあげられます。日の丸といっても、白い紙を丸く切り抜いて車体に貼りつけ、車体のオレンジ色で「日の丸」を表現するという裏技でしたが・・・。
1981-03 新居浜

DF50 27(四コチ)

1958.10.08 新三菱重工製造
1981.11.24 廃車

典型的四国スタイルの27号機です。四コチ所属のためなかなか撮れない号機でしたが、予讃本線の6181列車には時折四コチ所属機が充当されることがあり、この写真もそのチャンスにとらえられたものです。27,28号機も四国「生え抜き」でした。
1981-04 伊予三島

DF50 28(四カマ)

1958.10.08 新三菱重工製造
1984.01.26 廃車

こちらも四国スタイルの28号機です。予讃本線での重連定期仕業だった6181列車(高松〜多度津)の牽引待ちで、高松運転所に待機する姿です(次位はDF50 1)。いかめしい前面補強に延長された解放テコ、増設された重連用ジャンパ線受、各種エアホース類も並んで賑やかな表情です。スカート下のスノープラウアタッチメントがよく見えます。
 右にちらりと見えているのは珍車キユニ15です。
1979-08 高松運転所

DF50 29(四カマ)

1958.10.25 新三菱重工製造
1984.08.11 廃車

24号機とほぼ同一スタイル、亀山から転入してきた29号機です。亀山機に共通する特徴としては、運転台側窓の水切りに溢れ止めが追加されていること、前面窓の窓拭き機(ワイパー)がダブルアーム式であることなどもあげられますが、乗務員室扉窓のタブレット防護柵はありません。
 タブレットキャッチャーが装備されていませんが、四カマ所属のDF50は原則として走行中のタブレット授受を行わなかったため、そのままとされたものと思われます(1980年当時にDF50が走行中タブレット交換を行っていたのは、土讃本線高知以西のみです)
1981-09 伊予三島

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