翠波鉄道管理局 テーマ特集:「内山線開通」

内山線とは、現在の内子経由の予讃線の、建設当時の名称です。1986(昭和61)年3月3日に開業した同線は、国鉄末期の緊縮財政の中で唯一、鉄建公団AB線として開業した新線となりました。あれから25年、今回は開業当日の様子をご紹介します。

国鉄四国総局版の携帯時刻表。昭和61年3月改正版はもちろん内山線開通が一番の目玉。

内子での試運転列車にモデルさんまで起用しての表紙写真ですが、四国型バンパー付きのキハ55というのが渋すぎます。

この当時、すでにキハ55系はほぼ壊滅状態で、おそらく最後まで残った55-266または55-269かと(いずれもダイヤ改正時に廃車)。

夜明け直後の五十崎駅。まだお客さんの姿もなく、横断幕と万国旗が寒風にはためいていました。

1986/3/3 五十崎

記念式典とテープカットは伊予中山駅で行われました。
祝賀ヘッドマークをつけた181系「しおかぜ」がゆっくりとすべり出します。検査上がりのぴかぴかなキハ181が印象的でした。

1986/3/3 伊予中山

内子駅での開通記念式典ももうすぐ、地元の小中学生で駅前広場が賑わっていました。

1986/3/3 内子

内子駅では特急・急行列車発着のたびに、小旗を持った中学生が出迎えていました。

1986/3/3 内子

UTA(宇和島鉄道愛好会)のヘッドマークを付けたキハ47の姿も。

1986/3/3 内子

役目を終えた内子旧駅。

新線区間の軌道強化のため、1985年11月で列車運行は終了しバス代行となっていました。列車代行バスのバス停標識が立っています。

1986/3/3 内子

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