キハ20シリーズ三回目は、同型の塗色バラエティを中心にご紹介いたします。 旧気動車色と呼ばれる濃紺/黄土色の塗色をまとってデビューしたキハ20系でしたが、その後朱/クリームの新塗装(一般色)に変更され、さらに塗装工程の簡略化のため首都圏色と呼ばれる朱色一色となりました。 |
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「一般色」と呼ばれる朱/クリーム二色塗装のキハ20 365(四マツ・1961年日車製造)。
1979-8 高松 |
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1957年6月、四国初のキハ20として、帝国車両製の5,7,8が松山に新製配属されました。 その中でキハ20 8は終生松山の地を離れることなく、四国最古参のキハ20として1982年まで活躍しました。 1980-7 伊予西条 |
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首都圏色になったキハ20 320(四マツ)。 1960年日車製造で高知区に配属され、1987年に廃車されるまで四国の地を離れることがありませんでした。 1984-10 多度津 |
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JR発足後も18両のキハ20が承継されましたが、やがて生き残った車両は内装を中心に更新工事が施されまっした。 写真のキハ20 408(四トク)もその1両で、外観上ではユニットサッシュ化された側窓が目立ちます。 1989-1 高松 |
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最後は白/ライトブルーのいわゆる「JR四国色」でした。 このキハ20 237(四コチ)は最後まで残った中での最若番でしたが、この二ヶ月後に廃車されました。36年間に渡った四国におけるキハ20の活躍は、ここで幕を閉じたのです。 1991-1 琴平 |
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番外:民鉄に譲渡された四国のキハ20
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1987年と1991年に計7両のキハ20が四国から岡山県の水島臨海鉄道に譲渡されました。 写真のキハ207は旧キハ20 310(1960年日車製造)で、最終配置区は四マツでした。 なお水島臨海鉄道にはこのほか3両のキハ20が部品確保用としてJR四国から譲渡されています。 1992-7 水島 |