DF50や特急・急行の陰で目立たない存在でしたが、キハ20系をはじめとする一般型気動車も、この時代の鉄道風景には欠かせない主役でした。特にキハ20は四国鉄道近代化の担い手として、特に昭和35年度には、この年に製造された119両のうち、実に70両が四国に投入されたほどでした。 今回から3回に渡り、そんなキハ20が当たり前のように見られた当時の様子をご紹介いたします。 |
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頭端式の高松駅ホームに顔を並べたキハ20 337(右)とキハ25 234(左)。 この当時、一般型気動車の標準塗装がクリーム/朱の二色塗装から、首都圏色と呼ばれる朱一色塗装に塗り替えが進行しつつありました。 1978-1 高松 |
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伊予土居駅で特急「しおかぜ」を待避するキハ20他3連の下り普通列車。 単線の悲しさ、普通列車は特急や急行を何度も待避します。ご丁寧に上下2本の優等列車を待避する場合には、20分近く停車していることもあり、駅前食堂でうどんを食べることもできた程です。 1985-10 伊予土居 |
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キハ20が風を切って走ります。普通列車に冷房などまだまだ縁遠かった当時、窓を大きく開けて涼風を愛でるのが常でした。 1984-5 豊浜付近? |
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徳島本線をにんびり走るキハ20 380+365の2連。 よく見ると、車両の向きが違っています。キハ20は基本的に向きが揃えられていた(便所が下り向き)はずなので、こういう組み合わせは希少だったかも知れません。 1986-12 辻−阿波加茂 |
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内子線の終点、こぢんまりとした内子(旧)駅に停車中のキハ20 336。 四国一のローカル線だった内子線では、両運車キハ20が単行で使用されました。 1982-10 内子 |
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松山気動車区の研修庫に並ぶキハ20。右端には新鋭キハ32が顔を見せ、世代交替間近といったところです。 左に見える2両のキハ20は、既に区名札や銘板が取り外されています。 1987-3 松山気動車区 |