翠波鉄道管理局 テーマ特集:「松山気動車区・1980年」

 松山駅に隣接する松山気動車区(四マツ)は、予讃本線では高松運転所に次ぐ規模を持つ車両基地で、「気動車区」という名称ながら、機関車(DE10)が10両、気動車75両、客車24両が配置されていました(1983年当時)。

 今回の写真は、1980年7月に四マツを見学した際に撮影したものです。友人「蝦夷ねこ」氏と共に、張り切って朝一番の客車列車121レで乗りこんだものの、我が愛機ペンタ君が道中で突然故障、やむなく蝦夷ねこ君のカメラを借りて撮りました(感謝orz)。当時なぜかモノクロフィルムで撮っており、ハイキーで荒れた画像ですがご容赦下さい。

炎天下の構内に並ぶDF50。

四国での活躍が長い試作型1号機(右端)と、亀山から転入してきた量産型31号機(左端)が並んで、その形態の際が際だっています。

独特のスタイルを見せる1号機の1エンド側。

丸みが強く、屋根上に突きだして見える前灯が試作型(1〜8号機)の特徴ですが、長野時代に取り付けられた乗務員扉の保護棒(1エンドのみ)、四国独特の全面補強や開放テコ延長、そして後年小型化された前面窓など、1号機特有の面構えです。

庫内で検査を受けるDE10。四マツはDE10が最初に配属された区で、以来1・2号機が「ヌシ」として活躍してきました。

写真右側が、機番がよく見えませんが1号機です。量産型の75号機(左)と比べると、ボンネット前面の点検扉が単純な観音開きだったり、端梁のステップの形状が異なるなど、細かな差異が見られます。

1号機の手前には2号機も仲良く検査待ち。スタイルは1号機とほぼ同じです。

奥に見える青帯のレム(冷蔵車)も、今となっては見られなくなった貨車のひとつです。

四マツのキハ20最古参、「バス窓」キハ20 8を先頭にした普通列車編成が出庫待ち。次位はキハ25とキハ26です。
キハ25は翌年のキハ47投入により全廃されますが、キハ26は急行用の予備車という役目からか、1985年まで生き延びることになります。

右奥に見える二階建て建物が、気動車区の事務所です。

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