客車列車の近代化と、地方都市での通勤通学輸送の改善を目的として製造された一般型客車「50系」は、その塗色から「レッドトレイン」と呼ばれ、広いデッキや自動ドアを備えるなど、その設備は利用客や現場には好感を持って受け入れられたそうです。 四国おける50系客車の活躍は、1978年に松山地区に新製投入されたことに始まります。そして1982年には予讃本線高松口と土讃本線に進出、ついに1985年には旧型客車を完全に駆逐し、すべての客車列車が50系で運行されるようになりました。 なお四国の50系でよく知られているのは、JR発足時に50系の改造により登場したオロ50系欧風客車「アイランドエクスプレス」と、国鉄時代に高徳線で運行されたオハフ50改造の簡易ビュフェカーが特筆されます。 私にとっての50系は旧型客車を駆逐した恨めしい存在であったため、当時は撮影対象になることもほとんどありませんでした。しかし国鉄末期を象徴する車両として、その数少ない記録の中から幾つかご紹介させていただきましょう。 |
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桜の名所波止浜駅に到着する128レ 高松−松山間の長距離客車列車は、50系への置換えが最も遅く、1985年3月のことでした。 旧客時代はマニ50だった荷物車はスユニ50に代わり、旧客譲りの重厚なTR47台車を見ることができたのは、何となく皮肉に感じられました。 1985-4 波止浜 |
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高松近郊の通勤輸送を担う50系 川之江発高松行きの予讃本線120レが、讃岐府中付近の築堤上を快走します。 1984-3 国分−讃岐府中 |
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「新しい客車が走ります」 1982年3月の予讃本線高松口と土讃本線への50系投入を告知した駅貼りポスター。 「新しい客車」の一番の特徴が、「乗降ドアは自動開閉」だったことがうかがわれます。 1982-3 三縄 |
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簡易ビュフェカー・オハフ50 180 国鉄末期に登場したオハフ50改造による簡易ビュフェカーです。土讃線の客車列車最後尾に連結され、窓全開で涼風を愛でながら、ビールを一杯・・・。 車体に巻かれた白帯に、四国総局の熱意を感じるような気がします。 1986-8 高松 |
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幻の「欧風客車」計画図 民営化を控えた1986年の多度津車両所一般公開の目玉は、キハ185系試乗列車とDF501復活でしたが、さりげなくその脇に展示されていた50系改造による「欧風客車」のモックアップと図面。 一段上がった密閉式展望室は、後の「ゆぅゆぅサロン岡山」を彷彿とさせますが、実際に登場したのは開放式展望デッキをもつ「アイランドエクスプレス」だったのはご存じの通りです。 この図面を信じて、すぐさまHOゲージでのモデル化を開始した私は、半年後に挫折を味わうことに・・・(苦笑)。 1986-10 多度津車両所 |