翠波鉄道管理局 テーマ特集:国鉄末期のキハ181系

 1971(昭和46)年冬のこと、いつものように自宅近く(予讃本線の伊予三島〜川之江)で遊んでいると、近くの踏切から警報機の音が聞こえてきました。いつも見慣れた急行や普通列車の来る時間ではありません。一体なんだ?と線路際に走ります。一直線の線路の向こうから、見慣れない列車がまっしぐらに向かってきました。「とっきゅうのしうんてんだ!」思わず叫んだのが、私(当時6歳)にとってキハ181系との初めての出会いでした。

 翌年春、新幹線岡山開業を受けて新製キハ181系による四国初の特急列車、「しおかぜ」(予讃本線/3往復)と「南風」(土讃本線・中村線/1往復)が運行を開始したのです。
 当時、我が故郷伊予三島には特急は停まらず、夕方の上りが一本、列車交換のため運転停車したように記憶しています。そんな「特急」を見たい一心で、夕方になると入場券(10円)でホームに入り、停車してもドアも開かないキハ181系を飽かず眺めたものでした。

 珍車が数多く在籍したことで知られる四国の気動車群ですが、キハ181系といえどもその例に漏れず、四国特有の車両が存在していました。今回は国鉄末期に四国で見られたキハ181系の、ちょっと珍しい車両をご紹介します。

キロ180-101

四国特急創設以来の珍車、キロ180-100番台。運転時間や需要予測から、四国では特急列車への食堂車の連結が見送られ、キロ180の洋式便所を車販準備室に設計変更したキロ180-101〜104が新造されました。

外観では、出入台外方に車販準備室の下降窓(写真左端)があるのが特徴です。

1986-12 高松

キロ180-151

四国特急の増発に伴い、本州から転属したキロ180に100番台同様の車販準備室を設置したキロ180-150番台(151・152)です。外観上は新造の100番台とほとんど差異は見られません(写真は151)。

キハ181系は予備車が少なく十分な洗浄が行われなかったのか、キニ車なみにひどく汚れた車両がよく見られました。

1984-12 高松

キロ180-201

1986年11月改正で予讃本線の急行列車がほとんど特急に格上げされました。新製キハ185系もラインアップに加わりましたが、キハ181系も基本5連という短編成化して編成数を増やすことになり、不足するキロ車をキハ車から改造して補いました。

こうして生まれたのがキロ180-200番台(201・202)で、外観上は種車のキハ180(車掌室設置改造車)にグリーンマークが付いた位です。

1986-12 高松

キロ180-202

上と同じキロ180-200番台の、反対側サイドビューです。分割民営化後の1988年にはキロハ180に再改造されていますから、キロとして在籍したのはたった2年ほどのことでした。

キロ改造と同時期かどうかは判然としませんが、車端部あった非常口が閉塞されています。この改造は他のキハ車、キロ車でも見られました。

1986-12 高松

キハ181-102

1986年の特急短編成化に伴い、中間車キハ180を先頭車改造したキハ181-100番台です。既に山陰地区で同種の改造車101が登場しており、本車はその続番として102となりました。

キハ180改造車であるため、外観上は出入台外方に便所・洗面所を撤去した部分があり、客室定員が4名少なくなっています。
 運転室後方の機械室がやや短く、側面のルーバ形状が異なっています。

 細かい点では、タブレットキャッチャーや防護板が装備されておらず、運転室周りがスッキリしています。また四国に在籍したキハ181には警笛シャッタを撤去した車両が多いのですが、本車ではシャッタ付です。
 前頭部の標識灯掛が在来車よりヒゲ一段分高いので、正面からでも容易に識別できました。

1986-12 高松

キハ180-4

こちらは珍車とは呼べないかもしれませんが、ブレーキが踏面片押式の量産先行グループに属するキハ180-4です(量産車ではブレーキがディスク方式に変更)。
外観上は輪軸部にブレーキディスクが見えないことと、出入台外方の行先表示器窓と洗面所窓がずれて配置されているのが特徴でした。

キハ181系では、1982年頃から台車軸受部の改造が行われました。オリジナルではリンクを併用した独特なタイプでしたが、改造後はオーソドックスなペデスタル式ウィングバネとなりました(写真は改造後)。

ちなみに四国にはキハ181、キハ180ともにトップナンバーが在籍しており、廃車後は佐久間レールパークに保存されています。

1984-12 高松

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