翠波鉄道管理局 テーマ特集:キハ52

四国で一大勢力を成したキハ20系気動車。その派生型としてDMH17機関を2基搭載した強力型がキハ52です。2台機関搭載のため車体長は急行型並みに21.3mと長く、側扉間の窓が一つ(ボックス座席1つ分)多いのが特徴です。
 1980(昭和55)年4月現在の車両配置表によれば、松山気動車区(四マツ)にキハ52 26・27・28・30・32・33・44・45・603・604、宇和島支区(四ウワ)にキハ52 5・6の総計12両が在籍しており、全てDMH17C機関を搭載した初期型の0番台および「簡易荷物車」600番台でした。これらキハ52は主として予讃本線松山以西や予土線などの急勾配を含む区間で使用されましたが、時にはキハ20系に混結され、高松まで足をのばすこともありました。

長距離普通列車に組み込まれたキハ52 33。

キハ20の代走でしょうか、松山発高松行きの普通列車最後尾に連結されたキハ52です。伊予三島あたりではこのクルマは珍しかったと記憶しています。
 妻面に「53-12 多度津工」という全検標記が読みとれます。塗装が新しいので中間検査の出場直後なのでしょうか。塗面には旧塗装(朱/クリーム)の塗分線がはっきりと残っていました。前灯は多度津工場改造車に多かった一灯タイプのシールドビームです。

1980-1 予讃本線 伊予三島

予土線で運行中のキハ52 6。

車体が長いキハ52ですが、それでも床下が機関で一杯でスペースに余裕がなく、水タンクが運転台直後の床上に設置されていました。私見ですが、キハ52いちばんのチャームポイントは、この水タンク設置のために窓がない側のサイドビューではないかと・・・。
 登場当時の想定だったのでしょうか、キハ52には列車種別サボ受が設置されています(キハ20等の最後期グループにもありますが)。

1982-10 宇和島

上掲キハ52 6のクローズアップ。

たった2両だけだった「四ウワ」の貴重な標記もご覧の通りです。

1982-10 宇和島

「簡易荷物車」キハ52 604の車内。

1980年に四マツ所属のキハ52 29・31の2両が簡易荷物車に改造され、29>603、31>604にそれぞれ改番されました。
 写真では手前が改造された荷物室で、一般客室としても開放できるよう、ロングシートと吊り手が設置されています。荷物扱時には一般客室とアコーディオンカーテンで仕切ることができるようになっていますが、荷物の多寡に応じて仕切位置も変えるためにアコーディオンカーテンが二箇所に設置されているのは芸が細かいですね。

1986-12 松山

もう一両の簡易荷物車キハ52 603の車内。

上写真604とは反対側から撮った写真です。余談ですが、このキハ52をはじめキハ20系の便所のない側(エンド)の運転台は、車掌室側が客室と腰壁とパイプだけで区切られていました。

1982-10 窪川

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