翠波鉄道管理局 テーマ特集:地上時代の丸亀駅

車両マニアを自負する(笑)私こと「ぷち」は、駅の写真はほとんど撮っていません。何度も撮影に訪れた高松や松山はもちろんのこと、地元の伊予三島や高校時代に通学で利用した新居浜駅ですら記録していません。今にして思えば後悔することしきりです。そんな中で、今回ご紹介する丸亀駅は、1986年12月に何気なく撮影したものです。当時は、国鉄の分割民営化と瀬戸大橋の開通が間近に迫っていた頃のことです。

予讃本線の高松〜多度津間は、予讃本線と土讃本線の列車が輻輳していました。しかし丸亀から宇多津をへて坂出に至る区間だけが、最後まで単線のまま残されていました。特に丸亀駅付近は人家や寺が線路ぎりぎりまで建て詰まり、複線化などする余地などないような状態でした。この単線区間は瀬戸大橋開通時に駅周辺の区画整理が行われ、単線のままようやく高架化されましたが、その後複線化も実現しています。

丸亀駅の駅舎正面です。大きな破風屋根と大きな窓、両脇に張り出した下屋がシンメトリーを強調したスタイルです。
 こぢんまりとした駅前広場には高架化をアピールする看板が立っています。

ホーム側から見た駅舎です。1番線ホームは駅舎側に、2・3番線用の島式ホームが写真左側にありました。

2番ホームに進入するキハ40-2000+キハ20の上り普通列車です。レール組・板張りの跨線橋には気動車の排煙ススがこびりついています。プラットホームはいわゆる「汽車用」の低いものです。

1番線ホームの横には、荷役ホームがありました。櫛形の2線があり、立派な木造上屋も設置されていました。撮影時点では既に使われておらず、一部は駐車場に転用されていました。

郵便や荷物を線路越しに運搬する「テルハ」です。1・2番線をまたぐ格好で設置されていて、1番線側には巻上機等を収容する立派なタワーが建っていました。このテルハを撮るついでに、上掲写真も撮ったというのが真相です(笑)。

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