翠波鉄道管理局 テーマ特集:大王製紙専用線

四国で唯一現存する貨物専用線でもある「大王製紙専用線」は、予讃本線の高松起点76キロポスト付近にあります。この専用線は、四国島内での製紙産業最大手の大王製紙(株)で生産される、新聞原紙をはじめとする各種紙製品を出荷する目的で、1970年に建設されました。専用線には国鉄からDF50が直接乗り入れ、1972年には飯田町の紙センターへ直行する新聞用紙専用列車の運行も始まり、1980年当時には一日三便の紙列車が運行されていました。1981年には機関車がDF50からDE10に交替しましたが、貨車は基本的にワム車が主体で、ワラやワキも使用されていました。

瀬戸大橋開通後は、紙輸送もコンテナが主体となってコキ車が入線するようになり、荷役線が増設されました。その後予讃本線の電化延伸に伴って専用線も電化され、現在はEF65がコキ100系を牽いて入線しています。

今回ご紹介するのは、1980年代にDF50、DE10が入線していた当時の様子です。

大王製紙専用線の全景です。予讃本線の高松起点77km付近の、本線に隣接した大王製紙の物流ヤードの一角に建設されました。雨濡を嫌う紙製品を扱うため、荷役線を覆う立派な上屋が設置されていて、夜間はネオンサインが輝いていました。
 線路は4線あり、左から到着線、機回し線、移動機・貨車の留置線、荷役・出発線となっています。
 折しも隣接する予讃本線(左端)をDF50 38が牽引する貨物列車が通過中です。

1982-08

大王製紙専用線へは、一日三便の紙列車が出入りしていました。午前中に入線する191-192列車では、191列車の後付で機関車が多度津から回送されていました。

1982-08

191列車は伊予三島で入換えののち、折り返して専用線に入線します。貨車から切り離されたDF50 52が機回し作業を行うところです。製紙原料の原木を運ぶトラ・トキの姿も見られます。

1980-10 

紙を満載した貨車の先頭に立つDF50 1。貨車の入れ換えを行うニチユの10t半キャブと呼ばれる貨車移動機が手前に見えます。紙を満載したワムの入換え作業は苦しかったのかよく空転していました。後に日車製の15t機と交替しました。
 余談ながらDF50 1の1エンド側前面窓が原形大型ガラスですが、この姿で撮ることのできた唯一の写真でもあります。

1979-11

四国には珍しい雪の日、パワムを連ねた紙列車を本線へ引き出すDE10 63。伊予三島で折り返しそのまま192列車となるため、機関車の次位にヨが連結されています。
 専用線は伊予三島駅の構内という扱いだったのか、この編成の最後尾にはヨはおろか、後部標識すら取り付けられませんでした。

1984-03

初代貨車移動機の最期の姿です。1981年頃から不調だったようで、同じ10t半キャブの代替機が入線したこともありましたが、結局1983年に日車製の15t機と交替しました。

1982-08

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